親の言葉は、大人になってからわかる
おれが子どもの頃、
親父の口癖は「リラックスしていけ」だった。
テストを受けに行くときも、
バッターボックスに立つ前も、
いつもそう言ってた。
でも──
こっちは殴られて育った。
スパルタで、暴力も当たり前だった。
そんな親父に「リラックス」って言われたって、
できるか、そんなもんって思ってた。
でも今、
自分も父になって、
ようやく、あの言葉の意味が少しだけわかる気がする。
荒々しい愛の中で育った
親父は昭和9年生まれ。
筑豊で育った、炭鉱の男だった。
愛は、たしかに感じてた。
でも、それは荒々しい愛だった。
野球、勉強、スパルタでがっちり鍛えられた。
中3で爆発して、
親父との関係はそこで終わった。
それ以来、親父はおれに関わらなくなった。
おれも、関わらなかった。
あれは、心が折れたんだと思う
今ならわかる。
あれはきっと、
おれの反抗で、
親父のなかの何かが、折れたんだ。
仕事に追われるなか、最後の会話
月日は流れ、
おれが仕事をバリバリやってた頃。
親父は、少しだけ戻ってきた。
一緒に酒も飲んだ。
でも、しつこく留守電を入れてきて、
その日の自分は限界だった。
「うるせーんじゃ。こっちは死ぬ気で働いとるんじゃ。」
そう怒鳴った。
親父は怒らなかった。
ただ、「立派になったなあ」って、そう言った。
あれが、最後の会話だった。
孤独死の知らせ
その冬。
警察から電話がきた。
親父は、孤独死していた。
おれは一人で筑紫野署に行き、
遺体を確認した。
家族葬をした。
姉も、母も来た。
でも──
おれだけが、涙が止まらなかった。
親父がおれを迎えた年齢で、息子を迎えた
気づけば、
親父がおれを迎えた年齢で、
おれも初めての息子を迎えた。
しかも、不思議なことに、
気づけばおれは、親父と似たような仕事をしている。
親父の生まれ変わりかもしれない
ときどき思う。
この子は、
親父の生まれ変わりなんじゃないかって。
でも、それはただの願望かもしれない。
それでも、いい。
いま、少しだけ
この歳になって、
ようやくほんの少しだけ、わかるようになったんだ、親父。
あんたが言ってた「リラックスしていけ」って言葉の意味が。
あれ、ずっとおれの中にあった。
忘れてなんか、なかった。
ありがとう
あの時は、ちゃんと伝えられなかったけど。
今、おれの中で、ちゃんと生きてる。
この命、ちゃんと繋ぐよ。
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