ひなたひかり塾とは

これは、ここまで生きてきた物語です。
なぜ、この塾をつくったのか。
なぜ、“男たちの相談室”が必要だと思ったのか。
そのすべては、この物語に詰まっています。


スパルタ野球少年から、エリート中学生へ

親のスパルタのもと、
本気で甲子園を目指していた少年時代。
しかし肩を壊し、野球をあきらめることに。

すると父親はこう言った。
「じゃあ、東大に行け」

野球の代わりに勉強に打ち込み、
中学受験で九州トップの中学に合格。
中学生までは、いわゆる“エリート街道”を歩いていた。


親との決別。檻を出た15歳

15歳で父親とぶつかり、家を出る決断をした。
その瞬間から、「自分で決める旅」が始まった。

社会のことなど、まるでわからなかった。
自由になったはずなのに、不安と迷いのなかにいた。
檻の外には出たけれど、何一つ自分で決められなかった。


人生初の“本音”と出会う迷走期

高校を卒業し、彼女にふられた。
大学に行く意味も見出せず、大阪や東京を放浪していた。
何がしたいのか、何者になりたいのかもわからず、たださまよう日々。

そんなある日、ふと思った。
「彼女をつくりたい」というのが、今の一番の本音だと。

その瞬間、思考は自然と動き出した。
どうすれば好きな人に選ばれるか?
本音がエネルギーになり、努力が自然と始まっていた。


リアルサバンナへ、覚悟を持って出る

本音を原動力に走り出したその先で、
ようやく“リアルサバンナに出る覚悟”ができた。


成功、そして“止まった”30代

念願の彼女もでき、20代は結婚し、子どもにも恵まれ、
仕事も順調に進んでいた。まわりからは“ちゃんとした大人”に見えていただろう。

だがある日、壊れた。

普段どおり車を運転していたのに、突然ぶつけた。
翌日もまた事故。
病院で1週間の休養をすすめられた。

12年間、走り続けていたが、初めて「止まった」
ずっと走り続けてたということも気づいてなかった。
「いい父親でいなきゃ」「信頼される教室長でいなきゃ」
無理をしていたことに、ようやく気づいた。


かたちを変えた家族、娘との別れ

その年の秋、「もう戻れないな」と感じた出来事があった。
そこから、家族のかたちは変わることになる。

一番つらかったのは、愛する娘たちと離れなければならなかったこと。

あの時の娘の涙は、今でも体に刻まれている。
一生消えることはない傷。
それほどまでに深く傷ついた。

何度もその記憶に引き戻されて苦しくなった。
それでも、娘たちは今も月に一度会いに来てくれる。
それだけで、救われている。
それだけで、幸せだ。


「本音で生きる」と決めた瞬間がある。

あの経験があったから、やっと気づけた。
人生は、本音から動き出す。

どん底で見えた、たったひとつの本当の気持ち。
「ひとりでは生きられない」

精神的にも経済的にも自立することが、
“立派な大人”の条件だと思い込んでいた。
でも、心の奥から出てきた言葉は、まるで逆だった。

「ひとりでは、生きられない」

小さな頃からずっと支えてくれていた姉にも、初めて逆らった。
「まずは、パートナーを見つけたい」
そう口にしたとき、やっと自分の本音に触れた気がした。

そして、本当に出会えた。
最高のパートナーに。

思ってもいなかった土地で、
海に囲まれ、息子と遊ぶ日々。

いま、魂が震えるような生き方をしている。

この人生が、そのまま「ひなたひかり塾」につながっている。
だから、この場所をつくった。


ひなたひかり塾で大切にしている3つのこと

  1. 現状の整理
     ぐちゃぐちゃのままでもOK。まずは出してみる。
  2. 本音の棚卸し
     誰にも言えなかったことも、遠慮なくぶつけてほしい。
  3. 言語化
     言葉にすることで、どう動けばいいかが自然と見えてくる。

“あなただけの道”は、もうすでにある

あなただけの道は、すでにある。
ワクワクが、そこへ導いてくれる。
その先には──魂が震える場所が、ちゃんと待っている。